山道での「こんにちは」と、リモートワークの画面越しに灯す小さな合図
こんにちは。
50人の会社から、社会にちょっと良いインパクトを残したい、藤井です。
先日、夏休みに長野の栂池自然園を訪れてきた。
中々奥地なので都内からだとかなり遠い場所ではある。スキーやスノボをする方はご存じかなと思う。高原なのでとても涼しく、おいしい空気とともにリフレッシュできたので是非訪れてみていただきたい場所だ。
その時の出来事だ。
向かいから、一人で歩いてくるハイカーが見えた。 すれ違いざまに、互いに「こんにちは」と自然に声を掛け合った。
別に深い会話を交わしたわけではない。 ほんの一瞬の挨拶だ。
しかし、その一言があるだけで、見知らぬ者同士の間にあった警戒心がすっと消え、安心して自分の歩みを進めることができる。
もし、相手がこちらをじっと見つめたまま、一言も発せずにすれ違っていったらどうだろう。
緊張感とまでは言わないが、何も印象に残らない体験であっただろう。
山道での「こんにちは」は、何か自然と行われるマナーなのかもしれない。
※自分の母がさっきリフトでも一緒なのだったのだから改めて挨拶することもないじゃないと突っ込んでいたが(笑)
このハイキングでの出来事を思い出しながら、今回は記事を書いてみようと思った。
顔を合わせないリモートワークにおけるコミュニケーションも、同じようなことあるなぁと。
私たちの会社では、出勤が当たり前にはなってきている世の中で、今も全社員リモートワークを行っている。
言うまでもなくこの働き方は、前提としてお互いを全面的に信じる「完全なる性善説」「信頼」の上に成り立っている。
しかし、姿が見えない環境だからこそ、常に隣り合わせにある巨大なリスクが存在する。
それは「疑心暗鬼」だ。
送信したメッセージに対して、丸1日も2日も反応がない。
リアクションのスタンプひとつすらつかない。
そうなったとき、受け手側の心には静かにモヤモヤが広がる。
「見てくれているのだろうか」
「無視されているのだろうか」
疑心暗鬼という暗闇は、一度発生すると組織の中に一気に感染していく。
そして、人や情報の健全な流れを静かに止めてしまうのだ。
オフィスで席に座っているとき、誰かに話しかけられて完全に無視することなど、まずあり得ない。
忙しければ「あ、ちょっと待って!」と手を挙げたり、
会釈をしたりして合図を送るはずだ。
しかし、画面の向こうでは、その「完全な無視」が簡単に起きてしまう。
「忙しいから返信できない」と言う人がいる。
だが、本質はそこではない。
「忙しい」ことと「レスがない・遅い」ことは、まったく別の問題だ。
私たちが求めているのは、完璧に整えられた長文の回答ではない。
「見たよ」「後で確認するね」という一瞬のスタンプや一言なのだ。
これは山道での会釈と同じである。
メンションがついた連絡を1日見ない、あるいはリアクションすら残さないこと。
それは、プロフェッショナルとして「約束を守れていない」状態であり、厳しい言い方をすれば非常にカッコ悪いこと(=仕事ができない人)なのだと認識している。
必要なのは、形式的なルールを守ることではない。
その根底にある「愛と想像力」を働かせることだ。
・このメッセージを送ってきた相手は、どんな状況で待っているだろうか。
・今、自分が一言返せば、相手の不安をどれだけ減らせるだろうか。
相手の立場に立ち、画面の向こうにいる存在を思いやる。
その泥臭い配慮の積み重ねこそが、疑心暗鬼を消し去り、組織の信頼関係を保つ唯一の基盤になる。
完全リモートという環境で、強い組織であり続けるのは決して簡単なことではない。
だからこそ、当たり前の約束を、全員で愚直に当たり前にしていかなければならない。
メッセージを受け取ったとき、あなたはその手で小さな「会釈(リアクション)」を返せているだろうか。
相手の存在を認識したという「合図」を、素早く灯せているだろうか。
一言の返信、ひとつのスタンプ。
その小さな愛と想像力が、画面越しの世界を驚くほど温かく、スムーズに変えていく。
日々、アップデート。
自分の歩幅で、進んでいこう。
クリエイティブホープ 藤井